お家取り潰しになるとわかっていながら、なぜ浅野内匠頭は江戸城で刃(にん)傷事件に及んだのか?その要因のひとつに「天気」があった可能性が浮上(曇りや雨お日が続き、精神的不安定な状況に陥っていた。)した。一方吉良のほうは、これまで比較的軽症だと考えられていた吉良の傷だが、治療記録からは一刻を争う状況だったことが明らかになった。さらに新発見の赤穂藩士たちのカルテからは、浪士たちが持病を抱えた病弱な集団だった可能性が浮かび上がる。資料を駆使し、現代医学の目で忠臣蔵を徹底検証する。 大石内蔵助は、仇討の成功に向けて、あの時代すでに【健康経営】を実施し、医者を使って、地方に散った労使たちの健康管理を行い、成功に向けて体調管理と連絡係として医者を活用した。現代に通じるものがあるのでは…。